大人明菜へ
80年代アイドルの場合はシングルのヒットがあって、その曲を含むアルバムが作られるという順番が多いので、そのアルバムにどのヒットシングルが入っているかをみれば前後関係を追えるのだが、1982~1985の明菜の場合はシングルヒットもアルバムも矢継ぎ早の上、ディレクターの交代もあって把握するのが大変。
島田雄三ディレクターのもとでのラストスパートは
7thシングル「北ウイング」(1984.1.1)→6thアルバム収載(1984.5.1)
8thシングル「サザン・ウインド」(1984.4.11)→7thアルバム収載(1984.10.10)
9thシングル「十戒(1984)」(1984.7.25)→7thアルバム収載(1984.10.10)
10thシングル「飾りじゃないのよ涙は」(1984.11.14)→8thアルバム収載(1985.4.3)
11thシングル「ミ・アモーレ」(1985.3.8)→9thアルバム収載(1985.8.10)
島田氏がプロデューサーとなり現場を離れたのが1985年3月なので、この8thアルバムからは藤倉克己ディレクターが担当。ゆえにシングルレベルで言えば「ミ・アモーレ」までが島田、アルバムレベルで言えば「飾りじゃないのよ涙は」「ミ・アモーレ」は藤倉井ディレクター。
明菜のピーク・ヒットでレコ大を受賞した「ミ・アモーレ」「Desire」がちょうどこの時期なので男たちの業績争いがからんでくるのかも?
いずれにしても、育ての親島田氏の現場不在と明菜の年齢的成熟が重なってワーナー後半期へと入っていく。ジャケット写真は篠山紀信。
デビューからここまでの記載は下記の書評ブログに取り上げた島田雄三氏の「オマージュ to 中森明菜」を参考に記載。