島田雄三時代の終わり
1981年のスター誕生、1982年デビュー以来、明菜の楽曲のディレクターだったワーナーの島田雄三氏(1948~)がディレクターを卒業し現場からフェイドアウトしていくのが1985年4月~。島田ディレクター最後のアルバムがこの「Possibility」(1984.10)。
明菜が16-20歳という少女から大人へと成長するのにあわせた巧みな楽曲戦略を指揮してきたのはやはり島田ディレクターでしょうね。しかし、そうなると親離れというか、島田離れは必然だったのかもしれません。ジャケットも少しだけお色気出していますが、少女っぽい最後の姿・・・